所在地:関ケ原町大字関ケ原732-27
標高164mの丘陵で、関ケ原が一望でき、戦況が見渡せる場所です。ここには東軍・黒田長政と竹中重門が、約5,000人の兵を率いて布陣しました。開戦すると攻撃の合図である烽火(のろし)を上げました。
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(専用ゴーグルは今後、関ケ原古戦場でのイベントやキャンペーンのノベルティとして配布予定です)
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ひとつ後の史跡に進めます。
所在地:関ケ原町大字関ケ原732-27
標高164mの丘陵で、関ケ原が一望でき、戦況が見渡せる場所です。ここには東軍・黒田長政と竹中重門が、約5,000人の兵を率いて布陣しました。開戦すると攻撃の合図である烽火(のろし)を上げました。
所在地:関ケ原町大字関ケ原1202
小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れしたころ、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。天下分け目の戦いの勝敗は、わずか半日程度で決しました。
所在地:関ケ原町大字関ケ原4008
関ケ原合戦前日、兵500を率いて挑んだ杭瀬川の戦い(大垣市)で勝利し、西軍の士気を高めた左近は、笹尾山の麓に布陣します。そこで東軍からの猛攻を抑えますが、黒田隊の射撃により負傷し、戦線を離脱しました。
所在地:関ケ原町大字関ケ原4008
関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる山頂に布陣した石田三成。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍寝返りを機に、西軍は次々に敗走しました。三成も伊吹山方面へ逃れました。
所在地:関ケ原町大字関ケ原2368-1
関ケ原合戦では、北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火(のろし)を上げて味方に開戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は、小西隊も敗走し、行長は揖斐川町方面に逃走しますが、自首し、京都で石田三成とともに処刑されました。
所在地:関ケ原町大字関ケ原2368-1
西軍は笹尾山に石田三成、松尾山に小早川秀秋という鶴翼の陣、東軍は関ケ原の盆地中央で福島正則を先陣とした魚鱗の陣を形成。そして9月15日、松平忠吉・井伊直政が宇喜多隊に発砲したことを機に、天下分け目の戦いが始まりました。