黒田長政コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館 黒田長政コース|古戦場・史跡巡り |岐阜関ケ原古戦場記念館

kuroda nagamasa

竹中重門と布陣した岡山をはじめ、激闘を繰り広げた石田三成・島左近の陣跡を巡ります。
最も気軽に歩けるコースです。

※スマートフォンではARを押してから、ARを押すとかざして見ることができます。

ARを押して2画面で表示された場合は「Exit VR」を押すと戻ります。
2画面での表示は専用のゴーグルを使用すると立体的に見ることができます。
(専用ゴーグルは今後、関ケ原古戦場でのイベントやキャンペーンのノベルティとして配布予定です)

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古戦場上空ツアー

笹尾山

松尾山

南宮山

関連史跡

岡山烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原732-27

標高164mの丘陵で、関ケ原が一望でき、戦況が見渡せる場所です。ここには東軍・黒田長政と竹中重門が、約5,000人の兵を率いて布陣しました。開戦すると攻撃の合図である烽火(のろし)を上げました。

決戦地

所在地:関ケ原町大字関ケ原1202

小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れしたころ、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。天下分け目の戦いの勝敗は、わずか半日程度で決しました。

島左近陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原4008

関ケ原合戦前日、兵500を率いて挑んだ杭瀬川の戦い(大垣市)で勝利し、西軍の士気を高めた左近は、笹尾山の麓に布陣します。そこで東軍からの猛攻を抑えますが、黒田隊の射撃により負傷し、戦線を離脱しました。

石田三成陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原4008

関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる山頂に布陣した石田三成。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍寝返りを機に、西軍は次々に敗走しました。三成も伊吹山方面へ逃れました。

小西行長陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原2368-1

関ケ原合戦では、北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火(のろし)を上げて味方に開戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は、小西隊も敗走し、行長は揖斐川町方面に逃走しますが、自首し、京都で石田三成とともに処刑されました。

開戦地

所在地:関ケ原町大字関ケ原2368-1

西軍は笹尾山に石田三成、松尾山に小早川秀秋という鶴翼の陣、東軍は関ケ原の盆地中央で福島正則を先陣とした魚鱗の陣を形成。そして9月15日、松平忠吉・井伊直政が宇喜多隊に発砲したことを機に、天下分け目の戦いが始まりました。