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ishida mitsunari

合戦時に笹尾山から石田三成が見た景色が見える場所をはじめ
最大の激戦地となった決戦地、盟友である大谷吉継墓などを巡ります。
山中を通るため、体力が必要なコースです。

石田三成コース

関連史跡

島津義弘陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原1869-3

甥の島津豊久らと約1,500の兵を率いて陣を構えます。合戦当日の午前中は防御に徹し、石田三成からの援軍要請も拒否。西軍が総崩れすると東軍の中央を敵中突破し薩摩へ帰還しました。

大谷吉継墓

所在地:関ケ原町大字藤下678-2

最期を悟った大谷吉継は自身の首を隠すように家臣・湯浅五助に命じ、自刃。首を隠した直後、藤堂高虎の甥に見つかった五助は、自らの首と引換に吉継の首の秘匿を懇願したといいます。吉継の墓は藤堂家により建立されたといわれています。

大谷吉継陣跡

所在地:関ケ原町大字山中30-1

小早川秀秋の不穏な動きを警戒した大谷吉継は、東山道(中山道)を見下ろし、松尾山を正面に望む山中に布陣。病のため輿に乗って部隊を指揮しますが、小早川秀秋や脇坂安治らに三方から攻められ、隊は壊滅しました。

石田三成陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原4008

関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる山頂に布陣した石田三成。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍寝返りを機に、西軍は次々に敗走しました。三成も伊吹山方面へ逃れました。

決戦地

所在地:関ケ原町大字関ケ原1202

小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れしたころ、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。天下分け目の戦いの勝敗は、わずか半日程度で決しました。

岡山烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原732-27

標高164mの丘陵で、関ケ原が一望でき、戦況が見渡せる場所です。ここには東軍・黒田長政と竹中重門が、約5,000人の兵を率いて布陣しました。開戦すると攻撃の合図である烽火(のろし)を上げました。

細川忠興陣跡

所在地:関ケ原町関ケ原811-104

細川忠興は、豊臣恩顧の武将ですが、石田三成とは仲が悪く、最初から東軍として参加しました。黒田・竹中隊とともに石田隊を果敢に攻めました。

徳川家康最後陣地

所在地:関ケ原町大字関ケ原959-2

徳川家康は午前11時ごろ、戦況が把握できないため、笹尾山の三成の陣の正面であるこの陣地に、本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の小早川秀秋を鉄砲で威嚇したと言われています。合戦後は、ここで首実検が行われました(床几場)。

田中吉政陣跡

所在地:関ケ原町大字関ケ原959-2

田中吉政は、最後には東軍諸将とともに石田隊を壊滅させました。合戦後には逃走した三成の探索を命じられ、伊吹山中の洞窟に潜んでいた三成を捕縛しました。