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kobayakawa hideaki

西軍か、それとも徳川家康に寝返るか。小早川秀秋が悩み、決断した松尾山を登頂します。
高低差約190mで最も体力が必要なコースです。

小早川秀秋コース

関連史跡

福島正則陣跡

所在地:関ケ原町大字松尾111

豊臣恩顧でありながら、石田三成と対立関係にあった福島正則は東軍として参戦しました。井伊・松平隊に抜け駆けされ、先陣の功を許してしまうと、直後に宇喜多隊に攻めかかりました。

小早川秀秋陣跡

所在地:関ケ原町大字山中731-1

標高293メートルの関ケ原の主戦場を一望できる場所に布陣した小早川秀秋は、かねてから内応していた東軍への寝返りを決意。大群に迫られた西軍は、一気に崩壊しました。

脇坂安治陣跡

所在地:関ケ原町大字藤下476-1

賤ヶ岳七本槍の1人。合戦前から東軍・藤堂高虎と内応していましたが、朽木元綱・小川祐忠・赤座直保らと西軍として松尾山の麓に布陣。小早川隊が寝返ると、脇坂隊とほかの3隊も寝返り、東軍の勝利に貢献しました。

開戦地

所在地:関ケ原町大字関ケ原2368-1

西軍は笹尾山に石田三成、松尾山に小早川秀秋という鶴翼の陣、東軍は関ケ原の盆地中央で福島正則を先陣とした魚鱗の陣を形成。そして9月15日、松平忠吉・井伊直政が宇喜多隊に発砲したことを機に、天下分け目の戦いが始まりました。

徳川家康最後陣地

所在地:関ケ原町大字関ケ原959-2

徳川家康は午前11時ごろ、戦況が把握できないため、笹尾山の三成の陣の正面であるこの陣地に、本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の小早川秀秋を鉄砲で威嚇したと言われています。合戦後は、ここで首実検が行われました(床几場)。

東首塚

所在地:関ケ原町大字関ケ原908-3

戦いの翌日、勝者となった徳川家康は、戦いで破壊された神社の修復や、首実検に供されたり、戦場に残された戦死者の処理を竹中重門に命じました。重門は、遺体を埋葬し、東西2か所に首塚を造営しました。朱色の門を抜けた敷地内にはスダジイの古木のみが残っています。