2023年12月15日
【応募締切】2/11(日)山城シンポジウム「江濃境目の城」
【関ケ原研究会情報発信事業 開催記録】
令和6年2月11日(日)、関ケ原ふれあいセンターにて、山城シンポジウム「江濃境目の城」を開催しました。
午前の部 中井均氏基調講演「江濃境目の城」
・15世紀半ばから16世紀後期にかけて大名が紛争を繰り広げた近江と美濃の国境には支配の拠点ではなく、街道封鎖や監視を任務とする城郭が築かれた。
・特に16世紀後半の織田信長と浅井長政が争った際は、いくつもの城が築城、改修された。
・長比城(米原市)、横山城(長浜市)などは2つ以上の曲輪から構成されるが、途中は自然地形となる「別城一郭」構造。「別城一郭」は江南と江北国境に多く構えられる。
・関ケ原の戦いに際しては、浅井氏が築き、廃城となっていた松尾山城(関ケ原町)が大改修された。
・近年、豊臣秀頼出陣の際の本陣として玉城(関ケ原町)が築かれたとする説があるが、畝状竪堀を構える西側が正面であり、縄張りも古いことから、慶長5年(1600)の築城とは考えられず、織田と浅井が争った際、美濃側が改修した城である可能性が高い。
午後の部 リレー報告「学芸員が語る山城調査、最前線」
○米原市「長比城・鎌刃城」 講師 石田 雄士(いしだ ゆうし)(米原市教育委員会生涯学習課)
・長比(たけくらべ)城は、元亀元年(1570)に織田信長の近江侵攻に備え、浅井氏が朝倉氏の応援を受けて近江と美濃の国境に築かれた城。竹中半兵衛重治の調略により開城。
・発掘により西曲輪、東曲輪、北曲輪(須川山砦)が同一時期に同一主体によって築かれたことが判明。また、建物跡が検出されないことから、プレハブまたは土台建物であった可能性がある。
・鎌刃(かまは)城は、南北近江の境目に位置する国衆の堀氏の居城であった。元亀元年(1570)の織田信長の北近江侵攻で城主の堀秀村は織田方に付いたが、天正2年(1574)に改易され、廃城となった。
・発掘により、自然石でほぼ垂直に石垣が積み上げられ、石材と石材の隙間に間詰石をほとんど用いず、粘土を詰めて接着剤とする独自の技術が用いられていたことが判明。
・居住空間(御殿)と見られる礎石建物、天守のような礎石建物(大櫓)が検出され、近世城郭につながる重要な城であると評価され、国史跡に指定された。
○長浜市「長浜市の山城調査」 講師 牛谷 好伸(うしたに よしのぶ)(長浜市市民協働部生涯学習課)
・小谷城は湖北を支配した浅井氏の居城で、大永5年(1525)頃の築城。天正元年(1573)、織田信長の攻撃で落城するまでの間に曲輪が増設が行われ、小谷山には1,500もの曲輪が所在する。
・今までの発掘調査により、山上城郭と山麓の清水谷から約75,000点の遺物が出土し、当時の人々の生活の一端が明らかになった。また、山上城郭の調査で見つかった礎石は焼けておらず、落城時には城は燃えていなかったことも判明した。
・横山城は長浜市と米原市の境界付近に築かれた山城で、京極氏の支城として築かれた後、浅井氏の支城となり、姉川の戦い後に織田方の城となったと考えられている。
・北城と南城からなる別城一郭構造で、発掘調査で土師器皿や鉄製品などが出土している。
○垂井町「菩提山城」 講師 亀田 剛広(かめだ たかひろ)(垂井町教育委員会)
・菩提山城は東西約150m、南北約300mに及ぶ西美濃最大級の山城で、国指定史跡を目指して「菩提山城跡総合調査検討委員会」を設置し、令和6年度から発掘調査予定。
・16世紀半ばまでは岩手氏の城であったが、永禄元年(1558)に竹中重元、重治(半兵衛)親子が岩手氏を追放し、居城とした。重治の子、重門が後に山麓に陣屋を造り、廃城となった。
・国人クラスの城としては規模が大きいため、今後の発掘調査では、美濃守護の土岐氏との関係、近江の勢力との関係も考慮しつつ、検討を進める予定。
○関ケ原町「松尾山城・玉城」 講師 富田 真一郎(とみだ しんいちろう)(関ケ原町地域振興課)
・松尾山城は大永年間(1521〜1528)に近江浅井氏の家臣の堀氏が入り、元亀元年(1570)に浅井長政が江濃境目の城として樋口直房を入れ置いたが、織田方に内応して開城、不破光治の在城後、廃城となった。
・慶長5年(1600)、大垣城主の伊藤盛正が石田三成の命により、毛利輝元が入ることを想定して改修した。関ケ原での決戦を想定して改修されたわけではなかったが、関ケ原の戦い前日に小早川秀秋が入城した。
・東西400m、南北250mの範囲に7つの曲輪が所在する西美濃最大級の山城で、枡形虎口、馬出状の曲輪、喰い違い土塁などを備える戦国末期の高度な縄張りを持つ。
・玉城は虎口がなく、土塁の囲繞が認められないなど、戦国期前半の縄張りを持つ山城で、関ケ原の戦いの時期の縄張りではない。
・大手の西側を巨大な堀切で切断するなど、近江側を意識した縄張りであることから、地元領主竹中氏による改修などが想定される。
・戦前に陸軍が麓に東洋最大規模であった玉弾薬庫を設置したため、現在も登山道に陸軍の標柱(有刺鉄線用)などが見られ、今後検討する際には、陸軍による城跡の削平も想定する必要がある。
最後に中井氏から、改めて江濃境目の城の特徴がまとめとして述べられ、今後は赤色立体図などが更に用いられて縄張図が進化していく可能性、地元の方々の草刈りなどの協力のありがたさと重要性などが述べられ、盛況のうちに終了しました。
当日は400名の方が参加されました。ご参加いただきありがとうございました。
1月31日(水)9時 定員に達しましたので、応募を締め切りました。
岐阜県及び滋賀県の自治体と連携し、近江国と美濃国の国境に所在する山城を中心に、その魅力や調査研究で分かった新知見などを紹介する山城イベント「江濃境目の城」を開催します。
参加を希望される方は、応募フォームまたは往復はがきにてお申込みください。 皆様のご参加をお待ちしています。
日時 令和6年2月11日(日)10時30分~15時30分
会場 関ケ原ふれあいセンター大ホール(関ケ原町関ケ原894-29)(無料)
定員 400名(先着順)
プログラム
午前の部 基調講演「江濃境目の城」
講師 中井 均(なかい ひとし)(滋賀県立大学名誉教授)
時間 10時30分~12時
内容 山城研究の第一人者である中井均氏が、織田信長の天下統一や関ケ原の戦いなどに際して、築城や改修が行われ、戦いの舞台となった近江・美濃両国の国境の山城について講演します。
午後の部 リレー報告「学芸員が語る山城調査、最前線」
時間 13時~15時30分
内容 近江・美濃両国の国境に所在する戦国時代の山城の魅力を、最前線で調査などに携わる自治体の学芸員らが報告します。知られざる山城の魅力、発掘調査の裏話、おすすめの鑑賞ポイント、山城調査の基礎知識など、学芸員ならではの視点で語ります。
演題 米原市「長比城・鎌刃城」 講師 石田 雄士(いしだ ゆうじ)(米原市教育委員会生涯学習課)
演題 長浜市「長浜市の山城調査」 講師 牛谷 好伸(うしたに よしのぶ)(長浜市市民協働部生涯学習課)
演題 垂井町「菩提山城」 講師 亀田 剛広(かめだ たかひろ)(垂井町教育委員会)
演題 関ケ原町「松尾山城・玉城」 講師 富田 真一郎(とみだ しんいちろう)(関ケ原町地域振興課)
総評 中井均(滋賀県立大学名誉教授)
参加費用 無料
応募方法 応募フォーム※お一人様2名まで申し込み可能です。
応募期間 令和5年12月15日(金)~令和6年2月4日(日)※往復はがきでご応募の場合は2月2日(金)必着
往復はがき送付先
〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
岐阜関ケ原古戦場記念館 企画連携係「山城シンポジウム」担当者宛
※住所、氏名、電話番号、申込人数、2人目の氏名(該当する場合のみ)を明記してください。
※1枚につき2名様までご応募いただけます。
※往復はがきでお申し込みの方は2月2日(金)必着でお申し込みください。
※お申込みいただいた方の個人情報は本講演会の受付確認にのみ使用し、他の目的には使用しません。
※本講演会は関ケ原研究会情報発信事業の一環として開催します。
※当日は駐車場の混雑が予想されますので、下記の関ケ原町役場南東の臨時駐車場をご利用ください。
お問い合わせ先
担当 〒503-1501岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
岐阜関ケ原古戦場記念館 企画連携係
TEL 0584-47-6070(平日9:30~17:00)(月曜日休館、月曜祝日の場合は翌平日)
1月27日(土)~3月24日(日)山城パネル展示「江濃境目の城」についてはこちら
1月28日(日)山城講演会「関ケ原合戦と美濃の城-岐阜城・黒野城・大垣城-」(講師:内堀信雄 氏)についてはこちら
2月から3月にかけて開催予定の「関ケ原講演会」についてはこちら